札幌の税理士吉田匡の自己紹介2~中学生のとき

 

 プロフィール

自己紹介第二回目です。

ここから写真が極端に減ります(笑)

生まれてから小学校卒業まではこちらからどうぞ

苫小牧東中学校に入学

中学生のときから本格的に人見知りの性格が出始めました。

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仲の良い友達とはしゃべれるのですが、ちょっと自分と考え方が違うなという人とは喋りたくなかったです。

なので、仲の良い人は私のことをすごいしゃべる人に見えて、仲のそうでもないひとはおとなしい人に見られていたと思います。

今なら最初とっつきにくくても実は違った一面を持っているのではないかとか思いますが、その頃は違いましたね(笑)

学力の方は一年生の最初のテストで中の下くらい。

今税理士になれているのが不思議なくらいです。

それから二年生の一学期まで微妙な成績が続きました。それからちゃんと勉強しようと思い、真面目に勉強をしだしました。

そこからけっこう上位に入ることもできて、3年生の初めくらいには最高で上位5%くらいになったと思います。

しかし部活が終わり、みんなが受験だ受験だと騒ぎ始めたくらいで成績が上位30%くらいまで下がってきました。

成績が下がってきたというよりみんなが勉強し始めて上がってきたんだと思います。

みんなが塾に行き始める中、私は兄のおさがりの参考書を使っていて、超ハングリー精神でやってました。

うちは母子家庭みたいなものだったけど、たぶん塾に行きたいって言ったら通わせてくれたんだと思う。

母親からは一度も勉強しなさいとか塾に行きなさいとか言われたことがありませんでした。(兄は言われていましたが(笑))

ただ母親によく勉強を教えてもらいました。特に母は数学が得意でした。

その影響かわかりませんが、私も数学が好きになりました。論理的に考えるのが自分には合っていたんですね。

でも今思えば独学では伸びしろがないですね。塾に行っている人にはとてもかなわなかったですが、ハングリー精神は身に付きました。

苦手な科目はたくさんありますが特に美術。

美術は10段階で3の評価でした。

恐らく1は学校に来ていない人、2は真面目に取り組んでいない人。

3の評価の人は真面目に取り組んでいるけど才能の無い人の評価だと思いますね。

しかも美術って作った作品がみんなに見られるじゃないですか(笑)

完全にさらし者状態。あれは・・・・地獄

なので未だに絵をかいたりとかはできません。

ちなみに最近書いた絵はコレです。

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自分の顔を書くはずだったのですが、猫を書いてごまかしました。(っていうかコレ猫か?)

技術系も全く駄目です。プラモデルとかミニ四駆とか流行りましたが、何が面白いのかさっぱり?なんです。

なので、手先を使う大工さんとか技術系の職業には全く向いていないと悟ったのです。

中学校でも野球部に入る

小学校から引き続き野球部に入りました。

野球部に入ってびっくりしたのが、監督がど素人でしかも暴力先生!

私も何回殴られたかわかりません。その頃先生も28・9歳くらいだったので、勢いがあったんでしょう。

さすがにやり過ぎで、PTAから言われておとなしくなりましたが(笑)

一応そこそこ真面目に練習に取り組んでいたのですが、才能ってあるんですね。

3年生になってからレギュラーになれたものの最後の大会でレギュラーを外されました(笑)

はっきり言って才能はありませんでした。

神様、なぜ私に野球の才能をくれなかったのでしょうか・・・(泣)

でも野球はすごく楽しかったですよ。野球というより仲間と一緒に楽しくできたのが良かった。

最後の大会が終わった後にみんなで焼き肉をしたのも良い思い出です。

そうこうするうちに、無事に高校受験に合格し高校生になりましたとさ。

高校生のときはこちらからどうぞ

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 この記事の投稿者

吉田匡

1980年(昭和55年)生まれ、新陽税理士事務所、代表税理士。
2012年(平成24年)に開業、ホームページ・ブログを見てご依頼頂くことがほとんどです。
経営者・個人事業主・創業準備中の方向けに、税金や経営に関すること(たまにプライベートも)を発信しています。
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