母の背中から教わったこと

 

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こんにちは、税理士のヨッシーです。

先日7月31日は、私の母の命日でした。あれから8年が経ちました。

8年前の2011年、私は10年くらいかかって税理士試験にやっとのことで合格した翌年で、まだサラリーマンでした。

家族が亡くなるのは辛いことです。母子家庭のようなものでしたし、親戚付き合いもほぼ無く、母は本当の意味で唯一の家族という存在でした。(兄はまだ元気です!笑)

少年ヨッシー時代

思い返して見ると、中学生のころたまに数学を教えてもらっていたくらいで、何かを直接教えられたっていうことはないんです。

女手一つで育ててもらっていたので、私が小さいころから母は働いていたし、基本的に私と兄は鍵っ子でした。生活も今思い返してみると、平均よりは間違いなく下だったと思います。

家も友達の家が新築とか一戸建てとかに住んでいる中、市営住宅に住んでいたし、市営住宅を出てもボロい(笑)平屋に住んでいました。

私が高校生から住んでいた家は平屋で、玄関がプレハブの入り口みたいな引き戸、鍵はチャッチい感じ、泥棒に入られやすいけど、入っても何もないんじゃね?みたいな。

一度だけ友達が泊まりにきたいと言って、私は「うちボロいよ?ボロいよ?いいの?」と何度も聞きました。家族以外で家に入った人は、その友達と今の奥サマくらいです。

でも初めての平屋、一戸建てみたいな雰囲気で嬉しかった。クソ狭い庭で小さい七輪使ってバーべーキューもできる。高校まで野球やっていたので、玄関出てすぐに素振りができることに喜びを感じていました。

車はもちろんなく、兄が高校出て就職してタダ同然の車をもらって、家族でいろんなところにいきました。

そのうち、母も軽自動車を買って、これもまた古い。金額コミコミ30万、窓も手動でクルクル回すタイプ、もちろんマニュアル車。

私も成人式の日に借りて運転しました。サイドブレーキを掛けたまま数キロ、なんか変な匂いがしました。これで壊れなかったのが不思議なくらいです。

中学生くらいのときに、私の誕生日に初めて宅配ピザというものを食べました。テンフォーです。めちゃくちゃ美味しくて虜になりました。

でもさすがに中学生くらいになると、「あれ?うちもしかして他の家となんか違うな・・・?」と思うようになります。

ある日そばを食べに行きましたが、私は気を遣って一番安いざるそばを注文しました。それから一番安いもの、質より量を求めるようになりました。

一般の子供は食べ残したら怒られるのが当たり前ですが、私は怒られた記憶がありません。もったいないから食べ残さないんです。

母から教わったこと

ザックリいうとこんな感じで少年ヨッシーは成長していきました。

母から何を教わったか?

直接的には何も無いかも知れないけど、母の「行動」は全てみてきました。

女手一つで、決して高くない給料で、私たち二人の兄弟を育ててくれました。

母の行動全てが私が教わったことなんです。

決して裕福とは言えなかったけど、不幸と思ったことは一度もありませんでした。

これって凄いことだと思います。

私が凄いんじゃなくて、不幸と思わせなかった母の行動が凄いんだと感じています。

母は大変だったと思うのですが、決して辛くは無かったと思います。子供がいたから。

母が亡くなる前に「子供は宝」と言っていたそうです。母の勤務先の社長さんから亡くなった後に聞かされました。

じゃあ、宝のように大切に思われていた子供はもっと頑張らなきゃって思います。

母は58歳で亡くなりました。これから楽しむぞと言っていたのに、残念でなりません。

私も親孝行らしいことはあまりできませんでした。

ただ、母が亡くなる前の年に税理士試験に合格しました。そのときはすごく喜んでくれました。今でも記憶に残っています。

私は今38歳です。母が亡くなる歳まであと20年。

人の寿命はもちろん誰にもわかりません。

母の行動で教わったことを、きちんと自分の子供にも行動で示していきたいと思います。

↓私が20歳前後のころ、母と知床にて

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 この記事の投稿者

吉田匡

1980年(昭和55年)生まれ、新陽税理士事務所、代表税理士。
2012年(平成24年)に開業、ホームページ・ブログを見てご依頼頂くことがほとんどです。
経営者・個人事業主・創業準備中の方向けに、税金や経営に関すること(たまにプライベートも)を発信しています。
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